気まぐれ日記 05年9月
05年8月はここ
9月1日(木)「蜘蛛のサスケ・・・の風さん」
昨日今日と出張もあって、150kmぐらいミッシェルで走った。
それだけ走ったのは私だけでなく、実は、サスケと一緒である。
サスケというのは、私が命名した蜘蛛の名前だ。灰褐色の蜘蛛で、右ドアミラーの内部に住んでいるらしい。昨日の朝、ミッシェルに乗り込んだとき、顔に蜘蛛の糸が巻きついた。「ちっ」てな感じて、運転席で払いのけたのだが、ふと右のドアミラーを見たら、蜘蛛がへばりついていた。ステーの部分にも糸がからんでいて、こいつの一部が私の顔に引っかかったのだ。
昨日は自宅から製作所、そして本社へ行き、今日は、有料道路で本社へいったん向かった後、再び製作所へ行ったのだ。駐車場に停めている時間もけっこう長いのだが、蜘蛛のサスケはそのままで、高速で突っ走っているときは、ドアミラーの内部に隠れているので、風で吹き飛ばされることはない。結局、自宅まで帰ってきた。
そして、今朝は・・・姿がどこにも見えなかった。蜘蛛の糸もなかった。
少なくとも危害は加えなかったはずなので、いつか私が地獄へ落ちたとき、一度だけは天上から蜘蛛の糸を垂らして助かるチャンスを与えてくれるだろう。・・・私はカンダタか(笑)。
9月2日(金)「他の作家の新刊に続け・・・の風さん」
先月、立て続けに新刊が寄贈されてきた。
紹介しておかないと、今度、自分の新刊が売れなくなるのが心配だ(笑)。
大野優凛子著『四国 愛と罪の巡礼ロード』(実業之日本社)。徳島県出身のワイフは、大野さんのご当地ものが出ると突然体を乗り出す。今回も、私の作品などすぐに投げ出すくせに、早々と読んでしまい、「意外な犯人は驚いた」とか「最初は巡礼に行きたくなったけど、おしまいの方では、巡礼はとっても重い行為だと分かった」と言っていた。この本は、岳父つまりワイフの父へ渡っている。
楠木誠一郎著『1日1時間 1週間でわかる日本史』(二見書房)。最近怒涛の出版を続ける楠木さんである。実は、次女が楠木さんのファンで(うちには鳴海風のファンはいないのか!?)、さっそくこの難しい本を取り上げて読んでいた(受験に利用しようとしているのか、無理、無理)。
木谷恭介著『石見銀山街道 殺人事件』(祥伝社)。木谷さんとは面識がないのだが、なぜか送付されてきた。100冊以上も著書のある有名作家が、無名作家の私のところへ送って何の意味があるのだろう、と不思議だったが、さっそくミステリ好きのワイフに勧めた。ワイフは今、宮部みゆきさんの『孤宿の人』(新人物往来社)を読んでいて、その後読みそうである。今回、木谷さんの苗字を「きだに」ではなく「こたに」と読むことを初めて知った。勉強になった〜。
9月5日(月)「ようやく第1稿が完成・・・の風さん」
今日は計画有休である。しかし、休息のための有休でないことは言うまでもない。
執筆中の作品に関する取材で、京都にある国際日本文化研究センター(通称日文研)へ行って来た。
東京雨男は、どうやら場所を限定しない雨男になってしまったらしく、朝から雨である。もっともハンパな雨ではない。台風は接近しているし、前線もしっかり停滞している。
最寄の駅を7時24分に出る名鉄特急で出発した。最寄の駅は無人駅なので、事前に座席指定券を買っておくのだが、今回はそういうことをする余裕もなかった。通勤・通学の時間帯で、とても心配したが、幸い列車は空いていて座れた。電車で移動中は絶好の読書タイムである。しかし、土日に吐き気がするほど執筆していたので、疲労感でもうフラフラだった。
名古屋駅からはのぞみに乗り、京都までの36分間は資料を必死で読んだ(調べる項目を再度チェックした)。
今年1月の高校での特別講義以来の京都である(たぶん)・・・と思ったら、2月に出張で出かけていた。
京都交通バスで京都駅から45分くらいかかって「桂小学校前」という停留所で降りた。依然として雨が降っていて、何ともわびしいというか京都らしい風情だ(雨男の負け惜しみかも)。
やがて目の前に立派な建物が見えた。
現地到着は10時20分ぐらいだったので、片道3時間もかかったことになる。
ここは基本的に大学関係者が利用する施設らしく、私のような一般人は、公立図書館の紹介状が必要となる。ちゃんと地元の図書館の紹介状をもらってあった。また、貴重書の閲覧をする場合は、これまた事前に申請をし許可を得なくてはならない。これも郵送で出してあって、返事をもらってあった。
何とも形容のしようのない和洋折衷の建物に入り、庶務を通じて図書室へ案内してもらい、受付で書類を提出し、身分証明書を見せ、来館者ノートに記帳して、やっと手続きが終了した。ひと仕事であった。
し、しかし、ここは一見の価値ある図書室だった。大英博物館の中にある図書室を真似たとかで、入り口から開架ゾーンは円形をしていて、2階などドームのように円弧状の書架がぐるりと取り囲んでいる。受付はその中心にある。まるで外国映画の1シーンに迷い込んだようだ。
貴重書は、3階の開架ゾーンの前室にあらかじめ用意してあって、そこで自由に閲覧できた・・・が、その間は前室からの出入りは自由ではなく、いちいち受付に連絡しなければならなかった。
昼食をはさんで午後2時20分まで閲覧して、チェックすべきところをだいたい確かめることができた。
再び、バスで京都駅へ戻り、予定した新幹線に乗ろうとしたところで、誤算が生じた。その発車時刻の新幹線がなかったのである。やむをえず4時発の「ひかり」に乗ったところが各駅停車! 名古屋からの電車のつなぎも悪く、自宅へたどり着いたのは、6時20分頃だったので、帰りは4時間もかかってしまった。
夕食後、11時半くらいまで最後の加筆・修正をおこない、草稿は560枚ぐらいになったが、正味530枚ほどを第1稿として印刷を開始した。印刷が終了するまでに、宅急便用の装荷案内を書いたり、出版社へファックスをしたりした。
プリントアウトした158枚を眺めて、ようやくここまでたどり着いたか、と感慨深かった。
9月6日(火)「仕事帰りにも仕事をする風さんの巻」
台風14号が接近している中、東京出張した。これは会社の仕事。会社の仕事は趣味なので、小説家の仕事が仕事である・・・と言っても何のことやら分からないだろうなあ(笑)。ま、小説家一本でやっていけないものの愚痴だろう。
昨日と同様に最寄の駅から名鉄で出発。
私は東京へ行くのだが、まさか原稿を届けるわけにはいかない。原稿は宅急便でワイフに送ってもらった。
とにかく東京雨男は、東京へ行けばしっかり雨に降られる。
同僚二人と出かけた出張で、台風も接近しているため、夕方4時半過ぎまでで仕事を終えた。
同僚とは新宿で別れた。帰るまでに用事があったからである。用事とは仕事。本来の仕事であって会社の仕事ではない・・・からややこしい。
来週わたしは某ブロードバンドTVに出演する予定である。その下打ち合わせに行って来たのだ。
約2時間スタジオで打ち合わせをした。ブロードバンドTVの主宰者と大いに話が盛り上がってしまい、来週の収録が楽しみになった。詳細は後日トップページでも紹介しよう。
9月7日(水)「人生は短いかも・・・の風さん」
今週末から来週も超多忙の風さんだが、ややはっきりしていなかったスケジュールがかなり確定してきた。
14日と15日は有休で、小説家として頑張ることになる。14日は出版社との打ち合わせ。15日は新鷹会とブロードバンドTVの収録である。
来週までのわずかな期間に、新鷹会関連の自費出版の原稿のための序文を書く予定である。
ちょっと苦しいのが『和算と日本の歴史(仮題)』の原稿である。いつ完成させるんだー!?
来年のことになるが、地元の高校の先生を対象にして講演をすることになりそうである。
とにかくじゃんじゃん忙しくしてやろう。人生は短いかも。
9月9日(金)「出張転じて帰省となるの巻」
名古屋地方に比べ、日中の最高気温で約5℃は低い福島県へ出張した。あ、趣味でやっている会社の仕事の関係です(趣味ですが、生活がかかっているので真剣です)。
福島県はかなり秋めいているかな、と思いきや、けっこう蒸し暑かった。
実家が近いので、駅からバスに乗って向かった。直行バスは日中に3本くらいしかないし、タクシーだと3000円もかかるので、とりあえず近くまで行った。360円分乗ったところで降りて、そこまでクルマで迎えに来てもらった。
アシュレイを持ってきているので、実家で仕事をする予定である。
ところが、最近のハードスケジュールで体がまいっていて、今日は、ビールを飲んで11時20分に寝てしまった。休養もたまには必要だろう。
9月10日(土)「執筆三昧・・・の風さん」
久しぶりに8時間も寝た! 運動していないので体力はないが、疲労していたり睡眠不足だったりしていない分だけ、執筆に専念できる。午前中も午後も夜も、どこへも行かずにひたすらアシュレイのキーボードを叩いていた。できればまだ着手したくなかった取り組み中の原稿を、いったん読み始めたら修正したくなってしまい、どんどん手を加え始めた。来週出版社と打ち合わせするが、きっと「直せ」と言われるに決まっている、そういう部分だ。
あまりにも根を詰めすぎたので、へとへとになってしまい、今夜もビールを飲んでなんと11時に就寝した。
9月11日(日)「クシャミと鼻水の謎・・・の風さん」
午前中、執筆の続きをやった。結局、原稿の半分も処理できなかった。
明日の御歎仏会(おたんぶつえ)に参列してもらうため、1時過ぎに母を伴なって福島空港へクルマで行った。
福島空港の駐車場は無料である。昨年、ヨン様が突然舞い降りたという福島空港だが、ローカルな小さい空港だ。でも、大駐車場が無料というのはありがたい。ただ、いつも満車に近く、今日もやや遠いところへ駐車し、小雨の中空港ビルまで歩いた。
午後の福島⇒名古屋便は、名古屋(セントレア)から飛んできた飛行機を整備して、それに乗るのである。ところが、もう何度も利用しているが、いつも到着が遅れるため、出発も遅れる。今日も、3時35分発の予定が4時10分くらいになってしまった。
前線の影響が雲が多く、フォッカー50の小さい機体はけっこう揺れた。
飛行機に搭乗した直後から、なぜかクシャミと鼻水が止まらなくなった。実家で冷房をがんがんに効かせて執筆していたので、風邪をひいたのかもしれない。
セントレア着は5時35分頃だった。
長女が迎えに来てくれて、そのまま母を泊めるセントレアホテル(空港内にある)にチェックインさせた(我が家は決して狭くはないのだが、母を泊める独立した部屋がない)。シングルルームだったが、けっこう洒落たデザインで、田舎の国際空港としては上出来かもしれない。
その後、ワイフと長男、次女も合流し、夕食を空港内のレストランで摂り、この日は別れた。
自宅へ帰ってもクシャミと鼻水が止まらなかった。
9月12日(月)「御歎仏会・・・の風さん」
昨夜約束した通り、母を迎えに8時にホテルへ行った。
家を出る前に、鼻炎用のカプセルを飲んだ。
ホテルに着いたが、母がいない。フロントから電話しても出ないのである。少々心配になったので、フロントの女性にお願いして一緒に部屋まで行ってもらい、そこでチャイムを鳴らしたりドアを叩いたりしても応答がないので、マスターキーでドアを開けてもらい、中へ入った。すると、荷物はあるが、母の姿はなかった。
さては、空港内を散歩しているのだろうと、しばらくロビーで待ったが、なかなか帰ってこなかった。やがて、ひょっこり姿を見せたので、どこへ行っていたのか聞くと、ホテルの朝食券を利用してコーヒーを飲んでいたという。ところが、私はレストランの中も確かめたのだが、見つからなかったのだ。不思議だ。それから、私は自分の分の料金を支払って、一緒に朝食を摂った。
ミッシェルで母を自宅まで連れてきて、そこからワイフのクルマに乗り換えて、近くのお寺へ向かった。
今日は、この1年間に仏様になった霊を慰める御歎仏会(おたんぶつえ)つまり合同の新盆である。
お寺では5人のお坊さんが揃って、丁寧にお経を上げてくれ、少し立派な卒塔婆も用意してくれた。
今日、新盆を迎えたのは26人である。
読経後は、庫裏で精進料理をいただいて、それからお墓参りをした。日差しが強く、夏が戻ったような青空だった。
それからワイフと二人でセントレアまで母を送り、午後の名古屋⇒福島便へ乗せた。84歳の母は浮世離れしているので、私が搭乗口までエスコートした。
この頃には、私のクシャミと鼻水は完治していた。やはり花粉症だったのである。原因は分からない。しかし、名古屋から飛んできた飛行機に乗った瞬間、機内に飛散していた名古屋地方の花粉を吸ってしまい発症したのだ。そして、セントレアへ着いてからも症状はおさまらず、今朝飲んだ鼻炎用カプセルでピタリと止まったわけだから、これは間違いなく花粉症だったのだ。
帰宅してから、整形外科へ行った。この間頚椎症(けいついしょう)で診てもらってから2週間である。
診察してもらい、また痛み止めの薬を2週間分処方してもらった。
9月14日(水)「第1稿の打ち合わせ結果・・・の風さん」
今年初めての二日連続有休である。東京で作家としての重要なスケジュールが組まれている。
既に9月中旬に入っているが、今日も暑くなりそうだ。
重たいバッグを引きずりながら、名鉄特急で先ず名古屋へ出た。ウィークデーなので、新幹線の改札口で、出張しようとしている知り合いにバッタリ会った。「お! ラフな服装だねえ。作家活動?」勤務先の某技術部の部長さんである。仕事でお世話になった方であり、私の作家活動のありがたい応援者の一人でもある。
最初の用事は、提出した長編原稿の、出版社との第一回目の打ち合わせである。
「小説には発見と感動が必要です。この作品には発見はあるけれども、感動がまだ足りません」というところから始まって、総論的な意見交換となった。読者に感動を与えるために、ストーリー的に起伏を与えるなどして、ドラマを作っていくのである。また、作中にある歴史資料から知ったエピソードを挿入してあるのだが、既に小説になっている有名作家の作品にもそのエピソードが出ていることを話すと、案の定、「それは削除しましょう」ということになった。歴史資料にあるものでも、他人の作品から「ぱくった」という誤解を得る恐れがあるからだ。
打ち合わせは2時間ほどで終わり、そこから地下鉄でホテルへ直行した。
東京も名古屋のように暑い。
さっそく原稿修正に着手したのだが、何となく疲労感があって能率が上がらない。30℃を超える暑さと、重い荷物を引きずっての移動のせいらしい。
明日の夜は、ブロードバンドTVのビデオ収録があるので、その準備の作業にもかなりの時間を割いた。
それらを終えて、何とか午前1時前には就寝した。
9月15日(木)「Net Rush に登場! ・・・の風さん」
普通に起床して、昨日の続き(つまり原稿修正)をした。睡眠をとって体を休めたあとは、たいてい執筆ははかどる。短時間ではあったが、修正が進んだ。
ホテルの外へ出ると、風がひんやりする。昨日と気温がまるで違う。不思議だ。わずか一日の違いで、秋風が立ち始めた。
地下鉄で新宿へ出た。作家仲間とランチを摂ってから、代々木八幡での勉強会へ向かった。今夜のための荷物が多いので、キャリー付きのバッグである。パソコンと昨日出版社から返してもらった原稿、そして拙著が5冊である。これはけっこう重い。
今日の勉強会では、作品の持込が1本しかなかったが、出席した全員で検討すると、やはり勉強になる。題材がよくても、ドラマ作りが不足していると小説にならない、というのが結論だった。まるで昨日の自分の原稿に対する編集者の批評そのものだった。
来月の15日は、私の企画で、新鷹会ゆかりの塩原温泉和泉屋旅館で勉強会を開催する。その参加見込みがどれだけいるか確認した。通常の勉強会ほどの出席者は望めないが、季節もよし、そして土日ということで、何とか実現させたいと思っていた。どうやら10人以上は確保できそうだった。
2次会に参加するのはやめて、私ひとり、次の目的地へ出発した。
今までブロードバンドTVという表現でぼかしてきたが、インターネットブロードバンドキャスティングSKJ、24時間アーカイブス発信中「Net Rush」という、新しいコンセプトのインターネット情報発信コンテンツでありビジネスモデルである。主宰者は真咲なおこさんといい、先週、2時間ほどお話して、お互いを理解し合えたと思っている。
この「Net Rush」というサイトの中の「エグゼブティブ名鑑」というところに出演させていただくために、私は天王洲アイルのスタジオへ向かったのである。
5時半に第一ホテルのロビーに到着し、そこからスタジオ入りした。既にスタッフの方が3名スタンバイしておられ、私は昨夜用意した補助スライドを真咲さんに説明しながら、彼女の演出に少しでも役立てようと情報を提供した。何枚かのスライドを気に入ってもらい、タイミングが良ければ、インタビューの合間に流すことになった。
やがて、このサイトを紹介してくれた知人や、JALのマネジャーの方がみえて、本番収録が始まった。
約50分に収録だったが、ここまで真咲さんと何度もお話していたし、彼女の巧みなリードで、鳴海風誕生話や作家としての姿勢、会社生活との関係などを比較的平易にお話できたと思う。
鳴海風は、作家そのものは商品ではなく、作品が商品なので、今後、こういったメディアにじゃんじゃん登場する気はないが、講演活動と同様に、作家としてのメッセージを伝えるという点では、非常に良い機会を与えてもらったと感謝している。
収録直後に、4つのパートに区切ったり、各パートにキャプション(見出し)をつける作業にも参加させていただき、またたくうちに収録ビデオはインターネット上にアップされた。
9時過ぎに作業を終えてから、真咲なおこさん、知人と3人で軽く食事しながら飲んだ。不思議と話は尽きなくて、午前零時が目の前になり、「わー、終電がなくなる!」と大慌てでお開きとなった。
知人とタクシーで品川駅まで行き、そこから山手線で新宿へ出、知人は中央線の終電にすべりこみ、わたしはタクシーでホテルへ帰った。
今夜も午前1時に就寝したのだから、一日のラストだけは効率よく締めくくることができた(笑)。
9月16日(金)「飼い猫が銃に撃たれた・・・の風さん」
久々に名古屋に帰ってきた感じがする。と言うのは、新幹線から降りた瞬間、いつものモワーッとした熱気を感じなかったからだ。猛暑の名古屋までがもう秋の気配である。
朝刊を手にすると必ず目を通すのがこの時期天気予報だ。特に日中の最高気温。名古屋は35℃を超えないと「暑い」とは言えない。しきい値を低く設定すると、連日「暑い」になってしまうし、もうこの暑さにはかなり慣れた。それより、地球温暖化、ヒートアイランドといった言葉を知ってかれこれ30年近くなるが(本当です)、朝刊の予想気温をよく見てほしい。平年との差や地域との差である。明らかに本土の方が沖縄などよりもどちらも高くなっている。日中の最高気温など、沖縄より本土のたとえば名古屋の方がほとんど上である。
化石エネルギーを使わないようにしないと、やがて地球は熱崩壊してしまうだろう。
温度談義はともかく、帰宅してワイフとの漫才を久しぶりにやった。
「夕べもうなされたわ」
「また、宮部みゆきさんの『孤宿の人』を読んで寝たのかい?」
「そうなの。今度は、私が追われる夢じゃなくて、ペコ(うちの2匹目の飼い猫)が銃で撃たれて、しっかりしてぇって、叫んでいるうちにソファで目が覚めた・・・」
「また、ソファで寝ちまったのか?」
「あはは」
飼い猫が銃に撃たれるとは、いったい『孤宿の人』にはどんなシーンがあるのだ?
9月17日(土)「久々のトレーニング・・・の風さん」
せっかくブロードバンドTVに出演したというのに、ワイフは収録ビデオを観てくれない。それで、いつものように、私が昨夜就寝して今朝起きるまでの間にワイフは睡眠をとっているのだが、私はそれを知らない。忙しい女性だ。
執筆には体力が必要、とあらためて思ったので、1ヶ月ぶりにトレーニングに行った。運動後の数値は、血圧正常で、体重は肥満度−0.6%、体脂肪率が上がっていて20.1%、BMIが21.9だった。昼までに家に戻ったのだが、留守をしている間にワイフの宅配が2個も届いていて、不在通知が入っていた。2ヶ所に電話をかけて後で届けてもらうお願いをした。だいたい家にいるとワイフの留守電代わりとかこういった用事をすることになる。忙しい女性だ。
やることはお陰さまで死ぬほどあるが、今日は、知人の自費出版原稿を100枚ほど読んだ。序文を頼まれているのだ。全部で1000枚近い原稿で、まだあと100枚ぐらいありそうだ。手書き原稿で癖のある字体なので、とっても読みづらい。とにかくあと1週間ぐらいで終わりにしたい。
9月18日(日)「オープンガーデンの見学・・・の風さん」
愛知県は万博をやっている関係で、色々な催し物つまり「ナントカ全国大会」といったやつが愛知県で開催されることが多い。PTAとかね。今日は、全国ガーデニングサミットが当地で開催され、地元の民家の庭が「オープンガーデン」ということで一般公開された。普段、近所とはいえ、きれいにしている他人の庭にはなかなか入れないが、ボランティアでエントリーしている23軒の庭のいくつかを見学することができた。
わたしなど、ほぼ365日休日なしの生活をしているので庭の手入れなど全くできない。必要に迫られると、シルバーさんなどにお願いしている。普段は、同じく多忙なワイフが手入れしているだけなので、こういうときはオープンガーデンなどとてもできない。が、まるでモデルルームのようにきれいにしている庭の実に多いこと。感心した。
約1時間の散策に続いて、喫茶店で甘い物を食べて帰ってきたので、いくらオープンガーデンで勉強しても、自分の家の庭には反映できそうもない(笑)。
9月20日(火)「ゴキが出た! ・・・の風さん」
一昨日は雲一つない夜空で、中秋の名月が冴え渡っていた。
そのとき用意した月見だんごを今夜いただいた。うまかった。
それはさておき、今夜、帰宅して寝室で着替えていたら、部屋の隅の壁に大きな黒いゴキがへばりついているのを発見して鳥肌が立った。ズボンを脱いだ状態だったが、急がねばならぬ、とばかりに、書斎へ直行してゴキジェットを取って戻ってきた。が、ゴキジェットの中身が乏しくなっていたので、そこでズボンをはき直して、階下へ降り、満タンのゴキジェットを取って、再び寝室へ。幸い黒ゴキは元の場所にじっとしていた。恐るべき大きさ。
狙いを定めてシュワッとやったら、噴霧に逆らって前進を始めた。大型の黒ゴキはこれだから怖い。50センチほど前進したところで、壁から滑り落ちた。しかし、そこには荷物がわんさとあって、ゴキは行方不明。しまった、と思っている間に、部屋の中央へフラフラ出てきやがったので、再びゴキジェットでシュワッ。さらに、風さんは怖気をふるって、そばにあった折りたたみ傘をつかむと、バシッ。目を回した黒ゴキに対して、トドメのシュワッ。
ようやく人心地がついて、階下へ降りたら、今朝未明、二階の踊り場で飼い猫のゴキハンター「ペコ」が大活躍していたらしい。ところが、追い詰めたゴキが寝室の入り口付近で行方不明になったらしく、ワイフがドアを開けて、寝室へ「ペコ」を入れ、しばらくゴキの捜索をさせたらしい。その間、罪のない私はベッドで爆睡中だった。結局、ゴキの捜索はじきに断念され、ワイフも「ペコ」も、寝室から出て行ったという。・・・と言うことは、寝室には、私とゴキだけが残っていたことになる!
「ちょっと、それはひどいんじゃない?」
「いいじゃないの、あなたが仕留めたのだから」
「さっき出てこなかったらどうするんだ?」
「ゴキは寝室鬼没(神出鬼没)だから」
9月21日(水)「出張なのか江戸探訪なのか・・・の風さん」
出張で上京した。東京雨男の風さんであるが、こうも頻繁に上京していると雨雲からも飽きられたらしい。雨ひと粒降らなかった。
今日は往復の電車の中でひたすら読書しようと決めていた。そのために昨夜は早く就寝し、睡眠もたっぷりとってあった。
最寄の駅から名鉄急行に乗って、短編を1本読んだ。行きの「のぞみ」乗車中に自費出版用原稿を40枚強読んだ。帰りの「のぞみ」で同じく20枚強読んだ。帰りの名鉄特急で、歴史資料を少し読んだ。なーんだ。すごく長い時間あったのに、たったこれだけだった。遅筆の風さんは遅読でもあった。
出張先はJR飯田橋駅から降りて、神楽坂を登った途中にあった。毘沙門天の向かいである。江戸名所図会を見ると、牛込神楽坂は道幅がかなり広く、坂は階段状になっている。毘沙門天のところは坂を登りきったところにあり、今と同じだ。江戸三毘沙門天のひとつである。現代の神楽坂は、江戸名所図会と違って、道幅は狭く、飯田橋駅から登っていくとかなり勾配がきつく感じられる。坂の左右に小粋な店が立ち並び、江戸情緒を感じる。坂の上の左側にある立派な毘沙門天は江戸名所図会とおりだった。
9月22日(木)「ミッシェルで爆走・・・の風さん」
午後からミッシェルで出張した。製作所を出発するときナビに目的地をセットしたら、距離が122kmと出た。
最寄の知多半島道路のインターから乗って、伊勢湾岸道路、東名阪と乗り継ぎ、松阪インターで降りた。だいたい110〜120km/hで走った(も時効・・・とは言えないか)。目的地の手前で道に迷った。ナビの地図が古く、指定する道がないのだ! それで、ぐるぐる回ってしまった。
夜は、歯医者と床屋へ行った(すごいハードスケジュール!)。床屋のマスターが「タイムマシンで過去へ行って、本物の信長を見てみたいものですねえ」とため息をついていた。私は特に見たくもない。想像している方が楽しいし、実際を見たら案外幻滅してしまう人物が多いのではないか。
今日は300kmほど走った。疲れた。
その疲れた体を引きずって帰宅すると、また辻真先先生から新刊が届いていた。徳間書店からのハードカバーで、『沖縄 軽便鉄道は死せず』(1900円税別)である。量産作家の姿を突きつけられ、唖然としながらも、「元気出さねばー」と思った。トップページに表紙の画像付きでアップした。
9月23日(金)「お彼岸・・・の風さん」
本社に出張したついでに、ミッシェルの12ヶ月点検をしてもらった。現在、走行距離が93000kmである。これであと1年は安心して走れるな。
ついでに床屋に寄って、信長好きのマスターに本を渡してきた。『信長の棺』と『異形の城』である。
今日はお彼岸。東京では亡父の所属していた同窓会「茗渓会」主催による合同慰霊祭がおこなわれた筈である。写真を送ったので、祭壇に飾られたと思う。合掌
帰宅したら、恒例のおはぎが食卓にのった。ワイフが実家で作って持ってくるのだ。亡き父もおはぎが大好物だった。さっそく供えられた。
まだ疲れが残っているので、今夜も早く就寝するが、明日から本気で執筆しなければ。
9月25日(日)「万博のもたらした出会い・・・の風さん」
朝から強風が吹いていた。空は真っ青に晴れ上がっていたが、風のせいで気温は低めだったろう。
万博の最終日でもあった。なんと2200万人を超える入場者だったという。どうしてこれだけの人数が見物に来たのか、イマイチ理解できない。これだけ過密状態だと人酔いしてしまって、とてもエンジョイできないと思うのだが。不思議だ。
その万博が縁で、今日は出会いがあった。
東京在住の亡父の親戚、私には従姉にあたるのだが、その方がたまたま昨日からご主人と万博に来ていて、今日、帰る前に亡父の墓参をしたいと電話があった。うちからならクルマですぐだが、遠方から来られる人には墓参は面倒な場所にある。それで、当然、案内することとなった。
最寄の駅まで来てもらい、そこからお墓に案内し、家に寄ってもらい、少し話をした。亡父の兄の末娘ということで、私の従姉なのだが、なにせ初対面なのである。7人兄弟だった亡父の親戚とは、生前も没後もほとんど付き合いがなかったので、なかなか先方の親戚の消息についていけなかった。
しかし、親戚とは妙なもので、初対面でも何となくうちとけて話ができるのだから、これも亡父の導きなのだろう。あ、それと万博、ね。
東京へ帰ったら、きっと亡父の墓の様子や、私たちのことをしっかり伝えてくれると思う。
9月26日(月)「ネズミ捕り、危うし! ・・・の風さん」
久しぶりに月曜病が出た。要するに「会社行きたくない病」である。未明に会社の夢なんか見るからいけない。少し早く目覚めてしまい、頭が重く、枕から離れられない。だめだ、もういけない、となるとそれでおしまいなのだが、残念ながら起床した。うつ病寸前だな。老化とともに精神力も低下しているらしい。
秋の交通安全週間らしく、そこらじゅうに黄色い人が立っている。ミッシェルで突っ走っていたら、いきなりパッシング! おっとー。そろそろ走る。いた、いた。ネズミ捕りがいたぞ。ところが、レーダー探知機がうんともすんとも鳴らない。不思議だ。先頭で走っていたのだが、目測で違反しているとなるとスイッチを入れるのかもしれない。おまけにカーブで待ち伏せしていた。きたねえー。
決して忙しくはなかったが、体がだるくて、眠かった〜。
夕方、今日最初のブラックコーヒーを飲んだら、目がぱっちり!カフェイン中毒かもしれない。
久しぶりにエアコンを入れずに帰宅した。やはり秋深しなのかもしれない。万博も昨日で終わっている。
05年10月はここ
気まぐれ日記のトップへ戻る